違法なことを「違法だから」で片づけるのがダメな理由~情報リテラシー~

現代哲学

どうもこじらです。

「大麻も覚せい剤も同じ麻薬。やっちゃいけないことに変わりはない。」

「なんで人を殺しちゃダメかって?いや、そもそも違法じゃん笑」

 

こういう、違法なことを「違法だから」で片づけて議論の外に持っていこうとする発言ってよく見かけませんか?

法律に限らず、禁止されていること、良いとされていることでもそうです。

 

「ダメだからダメ!」がまかり通るのは、考える力がない子供だけです。

大人は自立して、自分で物事を考えなきゃダメです。

なんでダメかって?ダメなものはダメなんだって!!

冗談です。

 

こういう「ダメだから」で片づけるの、ヤバいと思います。

ヤバいと思う理由

(ここでは説明しやすいように「法律」にフィールドを絞って話します。)

違法なことは全部やっちゃダメなんですか??

私は彼らに、

「違法なことは違法だからダメって、じゃあ違法なことは全部やっちゃダメなんですか??」

と言いたいです。稚拙ですがw

 

仮に、国が”違法なことは違法だからダメおじさん”にこう言ったとします。

国「今日からあなたとあなたの親族の財産はすべて国が管理するようになりました!!!逆らったら違法です!!とりあえずすべて没収しますね!じゃあね!グッパイ!」

違法なことは違法だからダメおじさん「…まぁ違法だから仕方ないな!😄」

 

いや、”違法なことは違法だからダメおじさん”でも絶対そうはならないですよねw

おかしいですもんw

でも、彼らが「違法だから」で片づけるってことは、理不尽な法律が自分に降りかかっても「しょうがない」で片づけるってことになるんですよね。

 

うーん……。

奴隷にはもってこいだな!

人が作ったものは基本的に欠陥がある

人はミスをしますし、感情や状況によってパフォーマンスが大きく変化するため、人が作ったものには欠陥があります。

というか、あるのが普通です。

 

そして、一人の人が0から100まで作った場合はまだマシですが、大人数で作り上げられたものは最悪で、それがメンテナンスされ長期に使いまわされるともっとひどいことになります。

  • 文章を書くのが下手
  • 理解が浅い
  • ちょっと勘違いしてる
  • 状況的にそう書かざるを得なかった
  • 時代の流れでこれまで作り上げられたものが間違いになった

等々が重なり続け、どんどんぐちゃぐちゃになっていきます。

 

法律ってのは明らかに大人数で作り上げられ、何度も何度も修正され長期的に使いまわされているものです。

私は法律には詳しくないので分からないですが、中身がぐっちゃぐちゃになってることは容易に想像がつきます。

 

え、そんなぐっちゃぐちゃなものを疑わずに信じられるの?まじ?おれ良い壺持ってるんだけど今度買わない?

誰が作ったか分からないものを信じられるの?

誰がどの法律を作っていてどういう経緯でその法律ができたかって、全て理解してますか?

理解してるなら黙りますが、そんな人はいないでしょう。

 

誰が作ったのか分からず、なんで作ったのかも分からないようなものを信じられるってすごいと思います。

 

少し話からズレますが、賞味期限もその類のものだと思っています。

誰がどういう計算で算出したのか分からない日付をただ信じるのはちょっと難しいです。

それなら、自分の鼻と味覚、経験を信じたほうが正しいと思いますよw

 

え、でも賞味期限は守る?まじ?絶対に当たる占い師知ってるんだけど今度その人のところいかない?w

 

とまぁ、「ダメだから」で片づけるのがヤバい理由はここまで。

ここからは

  • これらのことから分かること
  • これらのことを理解する上で重要なこと

を具体的に話していこうと思います。

これまでの記事と重なる内容もあるとは思いますが、前よりもブラッシュアップされてるのでご了承ください。

これらから分かること、理解する上で重要なこと

世の中の情報はサンプリングされている

この内容は新型コロナでの安倍叩きについてで話した内容ですが、今見ると小題と内容があんまり合ってない気がしますwすみませんw

 

世の中の情報はサンプリング(標本抽出)されているにも関わらず、1か0かで語られがちです。

ひとまず例を挙げて説明します。

中国人は性格がきつい!

「中国人は性格がきつい!」

うん、納得できます。たしかにそうですよね。

 

でも、中国人は13億人もいて、すべての人に当てはまる訳ではありません。

中国にもいろんな民族がいて、いろんな文化を持った人民が存在します。

その中には、日本人の私より温厚な人はいくらでもいます。

 

でも、「中国人は性格がきつい!」という意見に納得ができるのは、日本人から見て中国人の特徴の傾向がそうだからであって、中央値をとった場合は、日本人よりも中国人の方が性格がきついと考えられ、

なにより、会ったことがある中国人、知っている中国人の中に性格がキツいなって思ったことがある人がいるからですよね。

(これは例です。中国人さん怒らないで。)

 

当然、私は13億人全員の性格は把握していません。

一部の中国人だけを見て全体の傾向を推測しているだけにすぎません。

 

というような感じで、世の中の情報はサンプリングされた情報がほとんどで、私たちが思考を巡らす上で使用しているのはサンプリングされたデータの方です。

 

新聞の見出しだけ読んで中身を推測するのと同じですね。

私もそういうのよくやります。全部追ってたら時間足りないですもんね。

 

ただ、こういった情報を見て

「あ、そうなんだ!」

とストレートに受け止めるのではなく、

「…えーと、ということはどういうことなんだ?」

「…えーと、利害関係者は誰だ?」

と裏の意味を探る必要があり、その工程を挟まないと答えにはたどり着けないということです。

なぜなら、サンプリングされた情報は正しいっちゃ正しいけど、正確には間違っているからですね。

 

もちろん、裏の意味を探ったからといって、正しい答えにたどり着ける訳ではありません。

全ての情報を得たときに初めて、抜けもれのない正しい答えを導くことができる可能性が生まれる訳ですから。

 

そのため、

「答え」が本当に答えなのかどうかについては、

  • 人と話して考えの正当性を議論したり
  • もっと深く調べたり
  • 「答え」であって答えじゃないと記憶しておいたり

していく必要がありますね。

 

答えがあるもの、ないものがある

そして、「その事柄に本当に答えがあるのか」を考えることも重要です。

 

これは、端的に言えば「サンプリングせずとも答えが存在するかどうか」という意味ですね。

ほとんどの事柄はサンプリングをしないと議論したり話題にしたりするための「ネタ」にすらなりません。

ただの有象無象です。

 

しかし、中には議論せずとも答えが明確に決まっているものもあるんですよね。

それは、人が勝手に決めたルールの場合です。

誰かが「答えはこれ!」と決めていて、それが議論するべきではないものの場合、その誰かのフィールドに則って考えることになるため、その答えは真理です。

 

例えばでいうと、将棋の駒の動かし方とかですかね?

あれは決まりきったことで、改変していくものではないので、将棋の駒の動かし方には正解があると言って差し支えないです。

統計を取ってデータを抽出して、その情報を元に推測して…という工程はいりませんからねw

 

こう見ると当たり前のことしか言ってないように見えますが、こういう思考は情報を整理する上でとても重要なことなんです。

 

そうしないと、法律や普遍的に禁止されていることが本当に議論されるべきことかどうかが分かりません。

 

文章にすると情報にノイズが入る

これは、言語は思考を統制させる先入観をなくすのは不可能だって話で話した内容です。

この辺の話は物事の概念を考えるよりももっと前の段階の話をする必要があるので、分かりやすくまとめるのが難しいです…。

 

まず、文章というのは人の意見や考えを文字という形で表現したものです。

人は何かしらの意図を持って文章を作成します。

しかし、人はミスをするので、人が作ったものは基本欠陥品なんですよね。

しかも、文章を書いた人と読んだ人で言葉の定義が違ったらもっと認識にズレが生じてきます。

 

Aさんが「うんこ、好きです。」

と書かれたメモ用紙を拾ったとします。

Aさんはそれだけ見ると、「世の中にはやべぇやつがいるんだな…。」と思うでしょう。

 

しかし、それを書いた張本人であるBさんが、本当にうんこが好きとは限りません。

仮に、

Bさんは「うんこした後、おいしいご飯をたくさん食べるのが好きです。」と思っていたとします。

でも文章にするのが下手すぎて、「うんこ、好きです。」になってしまっているかもしれません。

(さすがに文章にするの下手すぎですが、こういうアンジャッシュのネタみたいな状況は結構起こるものですw)

 

もしくは、

「うんこ」と「好きです。」の間の「した後、おいしいご飯をたくさん食べるのが」が何かしらの理由で消えちゃったかもしれません。

 

まぁ他にも色々な原因で、文章による情報の伝達ミスは発生します。

文字というツールは便利ですが、実際のところ欠陥だらけです。

でも、人類はそれ以上の情報伝達手段を開発できずにいるので、未だに文字を使用しています。

 

冗長になるから今回はこの辺で。

詳しく知りたければ過去記事の方も読んでみてね。文章下手で読みづらいけどw

まとめ

と、今回も実は情報リテラシー系の記事でした。

 

考えたり議論したりすることを放棄するのは本当に危険で怖いことです。

 

世の中の情報はねじ曲がっていて、その情報をそのまま受け止めて考えないでいると、間違った考えを持った人間になってしまいます。

 

それがきっかけで自分が不幸になったとき、誰も責められませんからね?

 

それに、民主主義の考え方が普及した世の中においては、その放棄が周りに迷惑をかけることに繋がりかねませんし、その結果、悪意なく人を不幸に陥れるかもしれません。

これは、場合によっては自分が不幸になるより辛いことだと思います。

 

違法なことを「違法だから」で片づけてしまうような人たちは、考えたり議論したりすることを放棄してしまう傾向が特に強いと思います。

だって、そうじゃなかったら、「違法だから」の5文字で片づけることはできないはずですから。

 

以上

とまぁ、

今回の内容もまだまだブラッシュアップが足りていない気がしたので、今後それぞれのネタを一つの記事として出せるくらい練っておきたいと思います。

こじらでした

じゃ

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