どうもこじらです。
今回は現代の生物の生存競争で強者となった猛者たちを表彰した後、ヒトという「種」について考えていきたいと思います。
こじら賞表彰
最優秀賞:ヒト
おめでとうございます!ヒトは知恵を使うことにより地球上の覇者となりました。もうあなたに逆らえる生物はこの地球には存在しません!
優秀賞:イヌ、ネコ
イヌ、ネコはペットとしてヒトに飼われることによって個体数を増やしました!おめでとうございます!
解説「まさか、人間にかわいいと思われることが地球での生存競争の正解だったとはねぇ……あっぱれです!」
優秀賞:麦、稲、イモ
おいしく進化することによってヒトに寄生することに成功し、個体数を増やしました!おめでとうございます!
解説「ヒトに育ちやすい環境を整えさせ、栽培されることによって個体数を増やす。いやーやり方がえげつないですねぇ…。」
優秀賞:牛、豚、鶏、羊
おいしく進化することによってヒトに家畜化され、個体数を増やしました!おめでとうございます!
解説「ヒトに隔離され大虐殺が続けていますが、結果的に個体数を増やすことが出来ています。この方法を選ぶことができたのは素晴らしいと思います。」
これが現代の世界である
はい、これが現代における地球上での生態系の大まかな構造です。
ヒトはこの地球で唯一無二の強者となり、次点でヒトに利益をもたらす存在が強者となりました。
家畜についての詳細
ヒトに虐げられる存在となった家畜がなぜ強者なのか、という理由を少し話していきます。
「種」としての目的は何なのか
家畜が強者である理由を説明するには、まず生物の「種」(ヒト、ネコ、イネみたいなくくり)としての目的について考える必要がありますね。
「種」の目的は何なのか。
それは「種」の存続であると言えます。
ネズミを例として見てみます。
ネズミの例
「ネズミとその捕食者のネコ。どっちが強者?」という質問をされた場合、「ネコ」と答える人が多いと思います。まぁ、ネコはこじら賞の優秀賞を取ってるのでそれは正しいとも言えるんですけどw
ただし、ネコを選んだ理由が「ネコはネズミの捕食者だから」だった場合、それは間違いであると言えます。
なぜなら、生物としての強さと「種」としての強さは直接的な関係性がないからです。「種」の目的は「種」を存続させることであって、「種」を存続させる力がある「種」こそが強者であるからです。
他の生物を捕食する存在であっても滅んでしまったら弱者です。恐竜は圧倒的な強さで一時期地球を支配しました。しかし、環境の変化に耐えきれず絶滅しました。生物としての強さはあっても、それが「種」としての強さに繋がる訳ではないという裏付けです。
その点、ネズミは「捕食されてもそれを超える繁殖力で種を存続させる」という戦略をとっています。この結果、ネコよりもネズミの方が長期的に「種」を存続させることができれば、ネコよりもネズミの方が強者であると言えますよね。
ただ現代ではヒトが地球を支配しているため、どちらと言えばネコの方が存続確率が高く、軍配が上がっているっていうだけの話です。
家畜もネズミと同じ
家畜はヒトの被食者になることによって数を増やしました。形はかなり歪ですが、ネズミと同じ「捕食されてもそれを超える繁殖力で種を存続させる」という戦略であると考えれば強者であると言えますよね。
まぁ、家畜の現場を見たら、そんなことは言えないような悲惨な状況になっていると思いますが。
種としての意思、個としての意思
生き物には「種」としての意思と「個」としての意思があると思います。
「種」としての意思
- お腹空いた。ご飯食べたい
- セ〇クスしたい
- 高いところ怖い
とかが例として挙げられます。
ヒトが本能的に感じる欲求は、ヒトという「種」が私たちの意思に問いかけているものです。
「個」としての意思
- もっとギターうまくなりたい
- 家でゴロゴロしたい
- 新しいスマホ欲しい
とかは「個」としての意思である部分が大きいです。ヒトという「種」自体が、私たちに「新しいスマホ欲しい」と思わせている訳ではないですからねw
「種」>「個」
私たちはそれぞれが意思を持ち自分の欲求に沿って行動をしますが、同時にヒトという「種」の奴隷であるとも言えます。
なぜなら、「個」としての意思より、「種」としての意思が優先されるからです。
お腹が空いて死にそうなときに家でゴロゴロしたいっては思わないですよね。そういう感じです。
「種」としてのヒトは何がしたいんだろう?
私たちは「個」としての意思により、「より豊かな人生を送りたい」と考え、自分が望んだ未来に合わせ行動をとります。その原理は分かりやすいですね。
しかし、「種」としてのヒトの行動原理はよく分かりません。よく分からないというか、流石にやり過ぎというか。
これだけ地球上の圧倒的な強者になることができたのに、「種」としてのヒトの意思はまだ繁栄を望んでいます。地球の環境は人間によってとても歪な形になり、これ以上は「種」の存続に繋がらない、むしろマイナスに繋がる状況になる可能性が高いと思います。
ちょっと話は逸れますが、進撃の巨人の「ユミルの民」ってのはこの辺の話を暗喩していると思います。壁の外の世界を知る前の進撃の巨人は哲学の宝庫ですからね。今度この辺も記事にしていきたいところです。
「種」としての意思の正体は何なんだろう?
「種」としての意思の正体ってなんなんですかね?遺伝子に組み込まれたただのプログラムなのか、それとももっと高次元の存在、つまりは「神」が存在していて、それが「種」としての意思として命令を与えているのか。
生物が数を増やすこと、存続を望むことはこの三次元空間においては特に何の意味もないことです。数が増えたらなんなんだ。存続出来たらなんなんだっていう話です。
進撃の巨人にも名言があります。
”どうもこの世界ってのはただ肉の塊が騒いだり動き回っているだけで特に意味は無いらしい。そう何の意味も無い。だから世界は素晴らしいと思う。”
ユミルの名言です。22巻参照。
「種」としての意思(目的)に特に意味はない。でも、「個」としての「私」は意思を持っている。
私はそういうニュアンスで捉えました。
まとめ
ヒトは地球上で暴れまくり、結果として最強の存在になることができました。そして、ヒトに利益を与える存在が、ヒトの次に強い存在になりました。しかし、「種」としての人の意思は暴走し、止まることを知りません。
私は最近、家畜のことを可愛そうだと思うことも野暮だと思い始めました。ヒトは自分たちのエゴに従い、自分たちに都合のいい環境を自分たちの都合だけで整えてきました。残酷なことをしてもOKです。見なきゃいいっていう単純な方法で解決できます。
ただ、「個」としての意思はコントロールできても、「種」としての意思は変わりません。ヒトの「種」としての意思に「可愛そう」という感覚はないので。
つまり、ヒトが「個」としての意思に従い、「種」としての意思から逆らわない限り、この歪な状況は解決できないっていうことです。
そう、家畜に同情するなら人を殺すしかないっていうこと。
こじらでした
じゃ
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