どうも、こじらです。
今回は、先入観を無くすのは不可能で、先入観を持つのはしょうがないことなんだよっていう話をしていきます。
先入観とは
先入観を辞書で引くと「前もって作られた固定的な観念」というようなニュアンスで書かれていると思います。
そして、先入観は悪い意味で使われることが多いですよね。
ネットでこの内容に関連する記事を調べてみると、
「知識は多いほうがいいが、先入観は少ないほうがいい」
だとか
「先入観をなくす〇個の方法」
だとか、そういう記事が引っかかります。
うーん、なんかなぁ。
まぁ、前提はこの辺にして本編に入っていきます。
先入観=知識
先入観は、「知識」と同意義だと私は思います。
辞書にあった先入観の意味の「前もって作られた固定的な観念」は、知識の説明だと見てもあまり違和感がなくないですか?
人の話を聞くには知識が必要
人の話を聞くには知識が必要です。まぁ当然のことですが、ちょっと深堀します。
「人の話を聞く」を詳しく言うと、「相手から得た情報を自分の知識で組み立てる」と言い換えられると思います。
もっとシステマチックに考えてみると、
- 相手から情報を得る
- 得た情報に関連する知識が自分の知識の中に存在するか検索する
- 知識が存在する場合、得た情報を理解するのに活用
- 知識が存在しない場合、情報の欠落が発生
- 知識の組み立てが成功すれば、相手の話を理解することができる
こんな感じですかね。
知識が少ないと相手の話を理解することはできません。
この「知識が少ないと相手の話を理解することはできません。」の一文だけを見ても、「知識」「相手」「話」「理解」などの言葉を知っているから、この文章の意味を理解できている訳ですからね。
そのため、人の話を聞くには知識が必要であると言えます。
「先入観を持つのは悪いこと」
「先入観を持つのは悪いこと」と言われる状況は、言葉の意味の認識が相手と自分で異なるときがほとんどかと思います。アンジャッシュのネタみたいな認識がすれ違ってしまう状況ですね。
上で挙げた「知識が少ないと相手の話を理解することはできません。」の一文をもう一度例として使います。
仮に、「知識」という単語の意味の認識が私と相手で異なるものとします。
そうですね、
私の認識は「物事について知っている事柄」
相手の認識は「うんち」だとします。
相手は「知識」の意味が「うんち」だと思っています。あり得ないですが、例なのでそういうことにしておいてくださいw
相手は「うんち(知識)がないと人の話を聞くことはできない」と述べています。
しかし、私は知識の意味を「物事について知っている事柄」だと認識しているので、「物事について知っている事柄(知識)がないと人の話を聞くことはできない」と言っていると誤解しています。
これは、私の「知識=物事について知っている事柄」という先入観によって誤解が生じています。
これを防げというのが、「先入観を持つのは悪いこと」という論調を語る人の主張です。
うん、なかなかに難しいですねw
先入観をなくすのは不可能
ここまで話せば、先入観をなくすのは不可能という主張がなんとなく分かってくれたんじゃないかなと思います。
自分の言葉の認識(知識)をなくさない限り、先入観をなくすことはできません。でも、知識をなくしたら相手の意見を理解することはできません。
いや、もうどうしようもないじゃん。
認識のズレが発生することを理解する
相手と自分で、言葉の意味の認識がズレていることを理解していれば、先入観を減らすことができるというのが、この手の主張の結論だと思います。
私もこれには同意見です。先入観を減らすという表現はよくわかりませんが、言葉の意味の認識のズレを減らすことはできると思います。
ただ、「先入観をなくす方法」という表現はやばいなって思います。減らすじゃなくて無くすですもんね。
「知識をうんちという意味で捉えている人もいる」というような極端な知識を頭に入れておかないと先入観をなくすことはできません。
これは相手が話をする上で使った全ての単語に対して適用されます。
「相手」の認識は私と相手で違うかもしれない。
「話」の認識は私と相手で違うかもしれない。
「全て」の認識は私と相手で違うかもしれない。
「単語」の認識は私と相手で違うかもしれない。
「全て」の認識は私と相手で違うかもしれない。
いやw脳みそパンクするわw
先入観を持つのはしょうがない
まとめです。
知識がある限り、先入観は絶対に持ちます。
そして、知識がないと人の話を聞くことすらできません。
相手と自分の知識にズレがあることを可能性として視野に入れておけば、アンジャッシュみたいな状況は減らせますが、それには限界があります。
じゃあ、先入観を持つのはしょうがないじゃんって。
「知識は多いほうがいいが、先入観は少ないほうがいい」「先入観をなくす〇個の方法」というタイトルの違和感を理解してもらえたんじゃないでしょうか。どうですかね。
前提条件を話すのは大事
先入観を持つのはしょうがないことであるからこそ、前提条件を話すのは大事であると私は思います。
単語には難しい単語と簡単な単語があります。難しい単語は認識のズレを生みやすく、簡単な単語は認識のズレが生まれにくいです。
前提条件として、難しい単語を簡単な単語で説明しておけば、認識のズレが発生する可能性は少なくなります。
しかし、それでも認識のズレは発生します。
相手と自分が全く同じ人生を生きているわけでは当然ないですし、価値観に差がある以上、認識のズレをなくすのは不可能です。
まぁなんか、「先入観をなくす」という表現より、話し手と聞き手が「価値観の差を理解する」という表現の方が私はしっくりくるなぁ……。先入観を持つのはしょうがないよなぁ……って感じ。
こじらでした
じゃ
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