どうもこじらです。
最近、AIの進歩すごいですよね。
先週(3/21)に、Bard(Google)、Firefly(Adobe)、Bing Image Creator(Microsoft)が同日に情報公開されて話題になりました。
ひと昔前は、AI関連の話は、シンギュラリティだとか2045年問題だとか、先の未来にやってくるあまり現実味がなく、ふわっとしたオカルト交じりの題材でしたが、最近は違います。
今回の記事では、最近の動向を汲み取り、「AIは人間を超えるのか」「AIは人間の仕事を奪うのか」という超ありがちな話題に対して、私なりの切り口で話していこうと思います。
AIは人間を超えるのか
まずは、「AIは人間を超えるのか」というよく扱われるテーマです。
ターミネーターやマトリックスなんかもこの辺の題材を扱っていますし、キャッチーで面白い話題だと思います。
これについて私の見解は、
「そもそも超える必要なくねwてかAIの定義って何ww」
です。
何がどの水準になったら人間を超えていて、どういう状態になったら「AIを超えた」になるのか分かりません。
つまり、まずはAIの定義について考える必要があります。
強いAIと弱いAI
AI関連だとよく話題にあがるテーマですが、定義を考える上では強いAIと弱いAIの話は切っても切り離せません。
一般的に、
- 「強いAI」は、人間を模倣し、意味を理解して思考力を持ったコンピュータのこと
- 「弱いAI」は、人間が持つ能力の一部を切り取って、一部の分野にだけ特化したコンピュータのこと
を指しています。
(まぁ人によって定義が大きく割れる部分です。)
今の世の中で「AI」と呼ばれて出回っているコンピュータはすべて「弱いAI」に分類されています。現状では、コンピュータに「意味」は理解できないという訳です。
まずは、この「弱いAI」はAIと呼べるのかについて。
「弱いAI」はAI?
「弱いAI」はAIなのかどうか。
結論から言うと、答えはNOだと思います。
まぁ定義が曖昧なものに対して言い切るのは難しいんですが、背理法で考えるとその結論に至ります。
電卓はAIか?
電卓はAIでしょうか?
ほとんどの人はNOと答えるのではないでしょうか。
計算速度、正確性の面を見たら人間よりもはるかに優れています。ということは、一旦電卓は「弱いAI」の定義に当てはまりますね。
でも、AI感がないですよね。
だって意味を理解して処理してるようには到底見えないですもんね。
弱いAIをAIと定義してしまうと、電卓はAIということになってしまいます。
この理屈でいくと昆虫とか小動物とかもAIと呼べそうですw三次元空間の認識速度は人間より優れていると思いますし、色々理屈付けていけばAIってことに出来ると思いますw
まぁ人間みたいに振る舞うようにプログラムされたコンピュータを「AI」と呼ぶことが多い訳ですが、それと本来のAIを区別するために作られた単語が「弱いAI」なのかなとも思います。
共産主義に対する社会主義みたいな、そんな感じで。(分かりそうで分からない例え。)
「強いAI」はAI?実現可能?
「強いAI」はAIかどうか。
まぁこれは流石にYESですよねw
これがAIじゃなかったら何がAIになるんだって話なのでw
今度は、AI、つまりは強いAIは実現可能かどうか。
…答えは…専門家じゃないのでわかりませんww
でも、最近の動向を考えると「YESなんだろうなー」と思わざるを得ません。
結局AIを定義するのも、「AI」をAIと認めるのも人間であって、大多数の人間がAIと認めたらそれはAIなのであって、大多数の人間がAIと認めるものが今後出てくるのかと言われたら、まぁ出てくると思います。
何なら、この定義だとChatGPTですらAIに含まれそうな気がしますw
こう考えてみると、将来的には、強いAIと弱いAIに区別すること自体が一昔前の古い考え方であると、そういう風潮になっていきそうだなと思います。
弱いAIであるChatGPTですら、人間以上に人間とチャットしているように錯覚することがありますし、意味を理解する必要があるのかどうか、疑問に思う場面が度々あります。
というか、人間は「意味」という言葉の意味をちゃんと理解しているんですかね?
…うーん、してなさそうです。
というか、「意味」というものが人の考え方やその時々の状況によって変化しすぎる曖昧なものなので、定義することができない気がします。
それでも、その曖昧なものに対して、「意味」という単語を当てはめている訳であって。
人間は意味を理解できる。コンピュータは意味を理解できない。意味を理解したコンピュータはAI(強いAI)と呼ぶに値する。うーん…。
なんか、強いAI、弱いAIはAIについて考えるきっかけを与えるだけの概念にすぎず、強いAI、弱いAIを考えても、AIについての本質的な議論にはたどり着けないのかもしれないです。
人間の特徴ってなに?人間って何がすごい?
さぁ気を取り直して、AIの定義についてもう少し深堀りしてみようと思います。
前述で、AIの定義をするためには人間の定義をする必要があるということが分かってきました。
そして、大多数の人間がAIと認めたコンピュータが出てきたら、そのコンピュータはAIだろうという1つの結論が出ていました。
じゃあ、人間はどの面で何が優れているのかを考えれば、先に進める気がします。
情報の取捨選択の能力
私は、人間が最も優れている能力は、情報の取捨選択にあると、考えています。
人間は絶えず情報を拾い続けています。
感覚はよく「五感」と表現されますが、正確にはもっと多様な感覚があり、たくさんの感覚器官から情報を拾い続けています。
現にあなたは、画面の液晶の光を目でとらえながら、周囲の音を聞き、重力を感じ、平衡感覚を感じ、服が触れている感覚を感じているかと思います。
しかし、それらの感覚をすべて感じているにも関わらず、意識せずに排除することができています。
やばくないっすかこれ!!
……。
↓この画像を見てみてください。
え、のうみそ!?認識できるんですか!すごいですね!!
……。
Stable Diffusionで生成した画像の上に文字を配置してみました。
なかなかカオスな画像ですが、その中にある「のうみそ」という文字をしっかりと認識できているのは、「のうみそ」という文字をグループ化して、それ以外の情報を一旦排除しているからです。
実際には、スイカの上に女の人が乗っていたり、メロンみたいなものが飛んでいたり、ビルが並んでいたりしていて情報が飛び交っていて非常にカオスな画像です。
今度はスイカに焦点を当ててみます。
そうすると、「のうみそ」という文字の情報が一気に薄れます。
このように、人間は取得したい情報をグルーピングして選ぶことができ、同時にそれ以外の情報をシャットアウトすることができます。しかも、意識することなく。
まぁという感じで、人間の情報の取捨選択の能力はすごくて、かつこれだけの処理を低コストで即時実行できているのは、本当に高スペックだなと思います。
しかし、この能力はメリットの裏に大きなデメリットを抱えています。
情報の取捨選択能力の大きなデメリット
この能力の最大のデメリットは、場合によっては必要な情報を不要な情報と捉えて見逃してしまうことがあることです。
例えば、さっきの「のうみそ」の画像において、私が一番注目して欲しかったのが「スイカに乗った女の子の帽子」だったとします。
しかし、ほとんどの方はそんなところは見ていなかったんじゃないかと思います。
私が設けたこの場においては、あの画像から拾うべき情報に正解があったっていうクソみたいな設定ですが、拾うべき情報の正解はその時々によって変わるものなので、特別変な話でもないんです。
人間には、こういった能力がたくさん備わっています。脳の処理を軽くするための仕組みです。
駅からの帰り道を歩いているとき、あなたはなんとなく歩くだけで家に帰ることができると思います。
「2個先の信号を右で…。その先のコンビニを左で…。」みたいなことを考えながら毎回家に帰っている人は普通いないと思いますw
つまり、慣れた行動である「家に帰る」という行動に対する脳の処理は簡略化されている訳です。
しかし、駅から出て、コンビニに寄りたかったはずが家についてしまった。みたいなことを体験したことがあるのではないでしょうか?
これは処理を簡略化したことの弊害です。
そのため、いい感じに情報を抽象化していい感じに記憶して処理を簡略化してくれる脳の優秀な機能ですが、その機能自体がミスをする前提で設計されていて絶対に避けることができないデメリットであると言えます。
まぁこのように、人間は色んな情報を排除する能力に優れている反面、この能力はミスを誘発するわけですが、この能力はこれだけカオスで情報が溢れまくっている世界で生き抜くために身についた重要な能力なんだろうなと思います。
私はこう考えたとき、
「あれwAIって追求する必要ある?w人間超えたところで有用じゃ無くね?ww」
と思い、AIは何かに特化させた「弱いAI」だけでいいんじゃないかと思うようになりました。
人間というコンピュータはこの地球っていう環境の中で、人間が持つ身体における限られたリソースの中で最も効率的に立ち回るための仕組みに重きを置いていて、わざわざそれをコンピュータで実現しようとするのはなんかズレている気がします。
とまぁ、ちょっと長くなりましたが、人間なんて超える必要なくて、今あるコンピュータの技術と情報処理技術は、もっと有用な使い方で活かしていけばいいんじゃないかというのが私の主張です。
論理的に考えたら誰でもそんな感じの結論になりそうですけどね。うーん、どうなんだろう?
AIは人間の仕事を奪うのか
AIは人間の仕事を奪うのか。
今の世の中の動向を知っていて、奪われないと思っている人はいなさそうですねw
イラストの分野ではAIの進歩が凄まじく、もう既に影響が出てるんじゃないかと勝手に思っています。
AIに奪われやすい仕事とそうでない仕事
この仕事はAIに奪われやすいだとか、この仕事はAIに奪われにくいだとか、そういった話題をよく耳にします。
実際、AIに奪われやすい仕事と奪われにくい仕事は存在すると、私も思います。
私が身を置いているIT業界には、プログラマとSEという2つが仕事があります。
プログラマはプログラムを書く人、SEは人から要件を聞き出してそれをシステムに落とし込む人です。
基本的にはSEの人がプログラマに対してプログラムを書かせて、それでシステムを作るっていう構造です。
このうちの、プログラマはAIに奪われやすい仕事、SEはAIに奪われにくい仕事と言われています。
これは納得感が強いです。
プログラマの仕事は現時点のChatGPTでも担える部分が大きいです。下手なプログラマに依頼するよりはChatGPTにやってもらった方がパフォーマンスがいいと思いますw
(プログラムが書けない人はいくら勉強しても書けないですし。)
しかも、プログラマがミスをしても責任はSE側が負うことが多いので、その辺の構造もプログラマがAIに仕事を奪われやすい理由の一つです。
その反面、SEの仕事は複雑で、人間とのコミュニケーションが全体のパーセンテージの大部分を占めています。
お客さんが訳わかんないことを言って、それを汲み取って、プログラマっていう無駄に論理的で思考が偏った連中に説明するのがSEの仕事です。(偏見)
まぁつまり、相手が話す「意味」を理解し、その「意味」を人に伝える能力が重要である点、加えて、そこに責任と正確性が求められる点が、SEがAIに仕事を奪われにくい理由です。
と、これは実際の話であって事実である訳ですが、実態を表しているとは思っていません。
なぜなら、その仕事がAIが担える仕事であるかどうかより、その仕事にお金が発生するかどうかの方が重要だからです。
契約を結ぶのは人間同士であり、依頼を出すのは人間です。
一般のほとんどの人たちは、プログラマとSEの違いなんて知らないと思います。
仕事を依頼する人たちが、プログラマとSEの区別がつかず、
「あーw最近AI進化してるよねーwシステムなんてAIでも作れるみたいだし、安いお金でもいいものが作れるんでしょーww」
って思われた時点で、契約の単価が下がります。
つまり、その仕事が舐められたら終わり。
私は、契約の単価が下がること=仕事が奪われる
だと解釈しています。
AIが台頭しても安定して稼ぎ続けられる仕事=AIに奪われにくい仕事
とも表現できそうですし。
契約の単価が下がるかどうかは、世の中の大多数の人間の認識に左右されるっていうことなので、どんな仕事でもAIに奪われる可能性があるっていうことを忘れずに生きていくのが大事なのかなと思います。
あとがき的なやつ
なんか、久しぶりに趣味として文章作成に脳のリソースを割いた気がします。
論理性を意識して文章を書くのは疲れますねぇ…。
これだけ頑張って書いた文章でも、最近のAIだったら一瞬で同レベルの文章が作れてしまうんでしょうか?
こう考えると将来不安だなぁ…。将来のためにとりあえず足腰鍛えておこうかなぁ…。
イチニッ!!イチニッ!!
………。
こじらでした
じゃ