どうもこじらです。
今回は地味に温めていた内容です。記事の下書きは半年以上前に書いてました。
今その下書きを見てみると、「いやw流石にネガティブすぎるだろww」とツッコミを入れたくなります。
まぁ、内容自体は面白いと思うのでぜひ読んでいってください。
経験することは良い事と言われがち
私たちは何かの経験を得ると、自分の成長を実感でき充実感を感じます。
「経験は生きる糧となり、のちの人生に良い影響を与える」
これに反論する人は少ないと思います。
私も自分の人生を振り返ってみると、「あぁ、経験は大事だなぁ」と思います。
しかしこれは、「何かの行動や意思決定をする場面」を思い浮かべているから、こういう結論に至っているんじゃないかなと思います。
(もしくは、深く考えず字面から脊髄反射で意見しているだけ?)
話を分かりやすくするために例を挙げます。
「何かの行動や意思決定をする場面」の例として、「PASMOを使って改札を入る場面」を見てみます。
例:PASMOで改札に入る
「PASMOを使って改札に入る」という行動は、普段から電車に乗っている人にとっては何の緊張もなくスムーズに行うことができます。
要領が分かっていれば何も難しいことはないですからね。
彼らからすると
「いまどき電車の乗り方が分からないのは恥ずかしい。」
と思うのが当然だと思います。
しかし、電車に乗ったことが無い人、普段電車に乗らない人にとってはどうでしょうか?
「どうやってチャージするんだろう…」
「改札で引っ掛かって後ろの人に怒られないかな…」
「入場後にチャージが足りないことに気づいたらどうすればいいんだろう…」
など色んな不安が出てくるでしょう。
この二者の違いは「経験しているかどうか」だけの違いです。
多くの人が「出来て当然。出来なきゃ恥ずかしい。」と考えていることを、経験だけでこなせるようになるなら、
「経験は生きる糧となり、のちの人生に良い影響を与える」という一文は正しいと思えてきますよね。
ただこれは、「行動」に着目した例です。
違う着目点から考えた場合、同じことが言えるでしょうか?
経験は、本当にのちの人生に良い影響を与えるのでしょうか?
と、言う感じで今回の本題に入っていきます。
経験は自分の幸福度を下げる
タイトルにもある通り、私は「自分の幸福度」に着目した場合、経験がマイナスに働くことが多いと思っています。
まずは、そう思う理由を2つ挙げます。
理由1:子供の頃の将来へのワクワク感と大人への憧れ
子供の頃って、将来へのワクワク感や大人への憧れで満ち溢れていましたよね。
今でもあの頃の感情だけが、心の奥の方に残っています。臭すぎる
あれは本当にいいものだった…。おっさんすぎる
あの感覚は、経験が少なく、ものを知らなかったからこそ感じることができたんじゃないかと思います。
大人になった今では「あーなんか生きるのつまんねぇなぁ……」ばっか言ってますよw
理由2:知識が増えると考えなきゃいけないことが増える
2つ目の理由は、知識が増えると考えなければいけないことが増えるというものです。
これは共感してもらえる内容か分かりませんが、私はよく思うことです。
例えば、
あなたの身の回りにはカレーが好きな人しかおらず、「カレーはみんな好き」と考えていたとします。
そしたら、色んな人と会ううちに「カレーが嫌いな人もいる」ということが分かってきました。
さらに色んな経験をしたら、「カレーにも欧風カレー、インドカレーという種類があり、それぞれで好みが異なる」ということまで分かってきました。
「カレー食いに行こうぜ!」とA君を誘う場合、
最初は「カレーはみんな好き」と思っていたので、何も考えずに誘うことができました。
しかし、「カレーが嫌いな人もいる」ということを知ってからは、「A君がカレーを嫌いな可能性」を考慮しなければいけなくなりました。
あなたは「A君、カレー好き?」というワンテンポを置いてから誘うべきだと考えるようになりました。
さらに、「カレーにも欧風カレー、インドカレーという種類があり、それぞれで好みが異なる」ということを知ってからは、「カレーが好きかどうか」以外に、「カレーの種類ごとの好み」も考慮しなければいけなくなってきました。
あなたは「A君、インドカレー好き?」という聞き方をするようになりました。
というように、色んなことを経験していくうちに考えなきゃいけない内容がどんどん増えていきます。
例ではカレーだけでしたが、経験するうちにありとあらゆる内容で考慮しなければいけない内容が増えていきます。
いやーw息苦しいですねw
とまぁ、これが私が思う「経験が自分の幸福度を下げる」という主張の根拠です。
ここからさらに深掘りしていきます。
経験とは何なのか
そもそも経験とは何なのか。
これを考えるうちに、
「経験は、世の中の慣習を知ることとほぼ等しい」と私は思い始めました。
この社会で生きる上では、「人間が作った勝手なルール」を覚えていくことがとても重要だと思います。
「人間が作った勝手なルール」というのは、
- 法律
- 時間
- お金
- 文字の読み方
- 改札の入り方
などが挙げられます。
これに加えて、「人間が作った勝手なルールに従うように仕向けたもの」も含めれば、この人間社会の多くがこれに当てはまると思います。
「人間が作った勝手なルールに従うように仕向けたもの」というと分かりにくいですが、「使い方が決まっているもの」のことです。
- ボールペンは、ペン先を露出させて紙に当てればインクが染み出て文字を書くことができる
- ティーカップは、ティーカップに飲み物を入れ、持ち手を持って傾ければ飲み物を飲むことができる
- PASMOは、チャージして改札機の読み取り部にタッチすると、改札を通過することができる
というように、物には使い方が決まっています。
便利さを求めたが故に使い方が決まったものが多いですが、結果として私たちは物にルールを強制させられています。
そのため、物には使い方があり、物の使い方を学んでおく(経験しておく)必要があります。
何で人が作った勝手なルールに従わなきゃいけないんだ…
私はそうせざるを得ないからこれらのルールに従っていますが、「何で誰が作ったかも分からないルールに従わなきゃいけないんだ…」とよく思います。
これは共感できる内容なんですかね?w
まぁ、というように経験することの利点は多いですが、実際はなんだかよく分からないルールが多く、深く考えてみると「なんか空虚だな。」と感じるものがたくさんあります。
と、本題はこれで以上なんです。
最後に
- 周りの人の幸福度にはどのような影響があるのか
- 経験によって幸福度が下がるかは人次第かどうか
という別のパターンについて少しだけ話して終わりたいと思います。
…今回はちょっと長めですねw
ここまで読んでくれている人はどれくらいいるか分かりませんが、もう少しで終わりますw
周りの人の幸福度への影響
「経験は自分の幸福度を下げる」といいましたが、周りの人の幸福度は安定して上がりそうですよね。
自分は何も考えなくてよくて、周りの人は自分のために色々考えてくれる訳ですからね。
経験によって幸福度が下がるかは人次第?
「経験によって幸福度が下がるかどうか」は結局人によるんじゃないかなと思います。
- 学ばない人
- 学んでもそれについて考えない人
なんかは経験してもあまり幸福度は下がらなそうですよね。
コンビニで店員にキレてるクソジジイなんかを思い浮かべてもらえればいいと思いますw
経験しても自分の幸福度が下がらないような人は、人を傷つけたり、迷惑をかけたりしがちな気がします。
まぁ、知らんけどw
まとめ
経験すると、この世の慣習や理を学ぶことができる。
そして、自分自身の成長にも繋がりやすく、その後の行動や意思決定に良い影響を与えることが多い。
しかし、幸福度という観点から「経験」を見た場合、「経験」が良い影響を与えないと思える場合が多くある。
というのが今回の内容でした。
やっぱ、狭い世界で周りを見ようとせずに生きていくのが一番賢いんだろうなぁ……。
狭い世界で広い世界を見ようとして生きるのが一番下手な生き方なんかなぁ……。
こじらでした
じゃ
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