何かを極める経験はまじで大事だって話

生きる上でのノウハウ

どうも、こじらです。

人間の自然免疫ってすごいですね。私今絶対インフルに感染してるんですけど、発症してないんですよ。

抗体がなくても免疫力でゴリ押せる人間さんまじパネェっす。

まぁその話は置いておいて、本題に入っていきます。

「何かを極める」とは

よく、何かを極めた経験がある人は強いって言いますよね。

就活や進学を考える時期には、特にその言葉が胸に突き刺さりますw

「部活入ってないし、勉強も適当だったからなぁ…面接で言える強み、私にはないなぁ…」って。

たしかに、そういったお堅い場で自分を誇示するには「証明しやすい強み」(部活、勉強、賞とか)が必要ですが、「極めた経験」に焦点を当てた場合はコンテンツを一切問わないと私は思います。

「極めた経験」はコンテンツを問わない

ここで言う「極めた経験」を言い換えると、「自分とバカみたいに向き合った経験」といったニュアンスです。

自分と向き合えるほど何かに没頭するのであれば、極める対象は何でもいいと思います。

砂遊びでも、キャップ投げでも何でもいいです。

あ、砂遊びやキャップ投げをバカにしている訳ではありませんからねw砂遊び協会やキャップ投げ協会の方々、怒らないでくださいwあるのか知らんけどw

 

自分の(現時点での)限界を知り、自分の非力さを痛感し、その劣等感を感じ苦しみつつも上を目指すことによって得られるものは多いです。

面接官はそういった経験があるかを問うている訳ですが、面接という環境がコンテンツを制限させてる訳ですね。「砂遊び極めました!」なんて言ったら変な目で見られますもんねw

極めることで得られるもの

極めることで得られるものは人それぞれ違いますが、私が思う一番は「自分に合った努力のコツを理解できる」というものです。

  • 目的意識の持ち方(モチベーションの保ち方)
  • 自分に合った練習頻度
  • 学習と経験の割合
  • 感覚派か論理派か
  • 早期成熟型か大器晩成型か
  • 自分にどういった類の才能があるか

具体的に挙げるとこんな感じですかね。

他のメリットとしては

  • 自信が付く
  • 自分を俯瞰的に見ることができるようになる
  • 人生に深みが出る
  • 話が面白くなる

とか、色々あると思います。

これらは全て、極めたコンテンツ以外の場所でも力を発揮します。ゴリゴリに発揮します。

他の人と比較できる趣味がベスト

人間は自分以外の人間と比較したときに劣等感を感じるものです。

一人で頑張れるゴリゴリのオタクもいますが、例外的なので省きます。

そのため、自分の実力を数値化しやすかったり、頻繁に他の人と自分を比較できたりする趣味だとより良いと思います。

到達するポイントは低くてもいい

何か実績がないと「頑張った経験」とは言いづらい気がすると思いますが、自分がもがき苦しみ頑張ったと思える経験であれば、実績は必要ありません

だって、周りに誇示するために頑張る訳じゃないですよね。等身大の自分でいいんですよ。

まぁ、才能で苦しむ経験が得られれば結果は何でもいいって感じですw

人に教わって上達したら意味がない

人から物事を教わるというのは「邪道」だと私は思っています。

人から物事を教わること、言い換えると「学習」ですね。「学習」とは、人の経験や知識を断片的に自分の中に取り入れ、自分の経験っぽくすることを言います。経験のパクリですね。

この「断片的に」という部分が重要です。人が経験やノウハウを伝えるときはめちゃくちゃ内容が削ぎ落とされます。

「コツ」という感覚による部分が大きい内容を教える場合は特にそれが顕著です。

学習した結果「なんかうまくいった」が一番最悪

学習した内容を実践してみて、特別苦労することもなく上達する場合ってありますよね。これ、最も良くない状況だと私は思います。

まぁ、その時の本人的には悪い感じはしないんですけどね。

「なんかうまくいった」が良くない理由

間違った自信がつく

人の経験をパクっている癖に「自分は上達が早い」→「自分には才能がある」と勘違いしてしまう人がいます。

残念。あなたにあるのはパクリの才能。

てか、早期成熟型は才能がある訳ではありません。私も早期成熟型なのでよく理解しています。

才能を誤認してる人が多い気がするからその話をします
どうもこじらです。 最近才能について乱暴な認識の仕方をしている人が多いなってよく思います。そのため、今回は私の「才能についての認識」を簡潔に話していこうと思います。 前提として まずですが、「才能」というのは人それぞれの主観による...

まぁ、自分の世界で「自分は才能がある!」と思い込めば、その世界でだけは才能があることになるので思い込む分には別にいいと思いますがw

上達しても経験が得られていない場合がある

学習により経験が得られるスパンが短くなる場合は良いんですが、本来段階的である成長をすっ飛ばしてしまう可能性があります。

成長というのは段階的に行われるものです。初心者のうちは成長ペースが早くて分かりづらいですが、ある程度の実力が付くと実感しやすいと思います。

一定の経験が得られると、学びや気付きが得られ、一段上の実力が身に付きます。RPGのレベルアップみたいな感覚ですね。

学習により経験のスパンが短くなった場合(図でいう横軸が左に縮まったイメージ)であれば、成長自体は段階的におこなわれているので問題はありません。

しかし、学習により2段ワープするような成長の仕方をしてしまう場合があります。「コツ」を学習して、なぜかたまたまうまくいっちゃうパターンなんかがそれです。

経験が得られずに成長だけしている状態なので、脆くて不安定です。

スランプの原因飽きの原因にもなりやすいです。

と言いつつも学習は大事

邪道と言いつつも、学習によって経験を効率化させるのは悪いことだとは思いません。

世の中には「感覚派の人」と「理論派の人」がいます。もちろん傾向の話であって、二極化している訳ではないですからね。

私が言う感覚派、理論派というのは

  • 感覚派→感覚から理論をつくる
  • 理論派→理論から感覚をつくる

という違いです。

感覚派の人であれば、感覚が先行するので学習がなくてもある程度成長できます。しかし、理論派の人は理論を組み立てるだけの情報が必要なので、学習がないと出だしがすごくきついです。

私がここで「学習が邪道だ」と言っている理由は、「学習は経験をパクる行為であって、本来は自分が試行錯誤して答えを作るものである。」という考え方を理解して欲しかったからです。この考え方を知っているだけで間違った努力の仕方をしてしまう確率はかなり下がると思います。

まぁなので、学習は成長に置いて大事ですw普通にw

自分と向き合えているかの確認

私が思う「あ、今ちゃんと自分と向き合えてるな」「極められてるな」と感じられる瞬間を1つだけ紹介します。

謎の力が発揮される

それは、自分でも分からない謎の力が発揮される瞬間です。

誤解しないで欲しいのが、これはビギナーズラックでは決してないということです。

ビギナーズラックが「なんか分からんけどなんかうまくいってるwwww

という状況に対して、

ここで言う「謎の力」というのは「あかんww思い通りの展開にしかならねぇwwww

という状況です。

自分はその場にいるのにその場より上の世界から見ているような、そんな感覚に陥ります。

 

話からは少し逸れますが、成長する場合は、

謎の力を感じる→スランプ→ワンランク上の実力を得る→普段通りの努力→謎の力を感じる

というループになることが多い気がしますね。

極めた経験があってもそれに満足してはいけない

今回の総括です。

何かを極めた経験は生きる糧となります。

しかし、慢心してはいけません。いや、「自分は慢心している。イキっている。」と思う意識が大事だと思います。

成長のために裂ける時間なんてのは人生全体の時間に比べたら僅かなものですし、自分自身の成長には限界がありません。そして、自分の実力に満足した時点でその実力の維持すら難しく、下降する一方です。

 

まぁ、今回はこんな感じで。

1000字くらいの適当な記事にするつもりだったのに、3000字まで膨れ上がってました。もっとスパッと読めて歯切れがいい記事が書けたらなぁ……

こじらでした

じゃ

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