どうもこじらです。
大人のみなさんは勉強ってしてますかね?
最近、大人がするべき勉強って子どもの頃の勉強とは結構毛色が違うよなぁと思いつつも、それが分かってる人は世の中にそんなに多くなさそうだなぁと思っています。
まぁ「大人の勉強」と表現した場合、明確な定義は存在しないんですが、ググってみるとそれなりに色々とヒットするので全くもって世俗離れした話題って訳でもないんだろうなと思います。
子どもがする勉強って何?
大人がする勉強を考える前に、子どもがする勉強を考えてそれに当てはまらないものを「大人の勉強」と捉えたほうが本質を捉えやすそうです。
子どもがする勉強は、私個人的には「考えるための素材を頭に蓄えるためのもの」と考えています。
子どもっていう括りがでかいのは一旦置いといて、まぁ大雑把に高校までの勉強はこの性質が強いと思います。
暗記重視の教育は批判されることが多いですが、メリットは多いです。
学習というのは卵が先か鶏が先かみたいな問題を孕んでいるもので、思考するには知識が必要、知識を蓄えるには思考が必要、みたいな構造になっています。
思考を重ねないと思考力は身につかない訳ですが、知識がない状態で思考することと、思考力がない状態で知識を詰め込むこと、どっちがマシかといったら後者の方がマシです。
前者は卵でも鶏でもない謎の生き物が生まれかねないんでw
そのため、子どものうちは暗記重視の学習をするのは理にかなっていると言えます。
ただ、小学校での勉強はそれで良くても、中学生・高校生になってからも暗記重視の学習をしてることについては改善の余地があるのかもしれません。
まぁ私は外野の人間なので知りませんが。
私が日本で子どもの頃に行ってきた学習は暗記がベースで、問いに対して答えがあるものがほとんどでした。
これに対して異を唱える人はおそらくほとんどいないんじゃないかな。
私は過去の記事で、文系的・理系的という表現をしたことがありますが、子どもの頃の学習は文系的な要素が強いと思います。
知識の深掘りをするというより、横方向に知識を蓄えていくようなイメージです。(前者が理系的、後者が文系的です。)
「どうしてそうなってるの?原理は何?」ではなく、「こういうのがあるよ!こういうものもあるよ!」みたいな、情報を羅列していくようなイメージ。
子どもの頃は確かにこういった学習が合理的な訳ですが、一番の問題は楽しくないことです。
暗記に楽しさを見いだせれば問題ないんですが、そういう人はなかなかいないですね。
暗記というのは本来合理的なものではないので、手段としての暗記に楽しさを感じている人はあまり本質を捉える力がないじゃないかと疑ってしまいます。
じゃあ大人の勉強って何?
大人の勉強と子どもの勉強の一番の違いは、楽しさの比重であると、一つの答えとして言えるかと思います。
子どもの頃の勉強は強制されて学習することがほとんどですが、大人になってからの勉強はやるもやらないも、なにを勉強するかも自由なので、興味がある分野に対して自発的におこなうのが普通です。
仮に仕事を意識した勉強だとしても、その仕事はその人自身が選んでいる訳ですし。
じゃあやっぱ、大人の勉強は楽しいものであるはずです。
それなのに、何かを勉強している大人は少ないですし、継続して勉強している人は更に少ないと思います。
それはなぜなのか。
勉強してない大人のほとんどは「何にも興味が沸かなくて勉強したいものがない」なんでしょうが、その根底にもその先にも、勉強の楽しさを知らない、大人の勉強っていうものがどういうものか分かってないからだと私は思ってます。
というか、子どもの頃の”勉強”の定義を、大人がやる”勉強”の定義と同一に捉えている人が多そうって感じです。
子どもの頃の勉強は暗記がベースでした。
しかし、暗記ベースでの学習が必要だったのは無知な子どもだったからです。大人になったら既にある程度の知識を蓄えているので、暗記しなくても吸収していけます。
卵が既に存在しているんです。
大人の勉強は思考ベース
ここまでの話で分かる通り、大人になってからの勉強はなるべく暗記に頼らず、理系的な下方向のベクトルに楽しんで学べばいいんです。
これが「大人の勉強」の定義です。
私が定義しました。
みなさんよろしくお願い致します。
これを聞いて「わざわざ言語化するほどのことでもねぇ」と思う人と、「何言ってんだ?暗記に頼らず勉強ってそれ勉強じゃないじゃん」と思う人の両極端になりそうです。
学習の本質は知識を蓄えることではなく、この世の原理や道理を理解することにあります。
知識のほとんどはサンプル数が少ない1事象に過ぎません。
そのサンプル数が少ないものをひたすら知識として頭に蓄えていたらきりがないです。
何か新しい知見があったら今までの経験と共通する箇所を見つけて、どういう条件の時にそのパターンになるかを学んで、新しい知見を見つけて…、また更に共通する箇所を見つけて…と続けていって、自分の感性を磨いていくべきです。
これが最も脳に変な負荷をかけずに効率良く学んでいく方法です。
これが本質的かつ最も理想的な学習です。
これを繰り返していくと、少ない学習で色んな事が理解できるようになったり、今まで興味がなかった分野に興味が沸いてきたりして、更なる相乗効果を生んでいくことができます。
この波に乗り始めさえすれば、大人の勉強はすごく良いものです。
まぁ一つ問題があって、この相乗効果の波に乗るために一つ重要なスキルがあるんですよね。
それは、共通項を見つける際に、因果を正しく認識するスキルです。
相関ではダメです。因果です。
例えば、「月が出ると夜になる。」が正しいと捉えちゃうみたいな感じですかね。
「太陽が沈むと夜になる。」なら因果が成立しているので正しいです。しかし、夜になると月が目立ちますが、昼も月は出ていますし、なにより月と昼・夜には因果は一切ないです。
こういう因果がないものを因果があると捉えてしまうと、共通項を見つけようとしたときに間違った答えを導いてしまい、下方向に掘り進んでいたはずが上方向に浮かんでいったり四次元空間に迷い込んだりしてしまいます。
まぁこの辺の感性は大人になってから養えるものなのかどうかは知りませんが、まぁでも理系的な下方向のベクトルに進もうとし続ければ多少は良い方向に向かうと思うんだよなぁ…。
最近、視覚思考者、言語思考者っていう分類を知って、物事を考えるときに何をイメージして思考を巡らせるかが人によってだいぶ違うことを知りました。知ったというか、言語化されてはっきりと認識したというか。
なんか、みんなはどういうことをどういう風に考えて生きてるんだろうなぁ…。
まぁでも、大人の勉強と子どもの頃の勉強は別!
これくらいは正しいとさせてくれ…!
こじらでした
じゃ